一度は訪れたい砂漠のオアシス、「ワカチナ」<南米ペルー>
自粛生活二か月目に突入しました、Kです。
- 首都リマからのアクセス抜群!ーバス選びー
- ワカチナへ行く方法ー料金・所要時間・降車場所ー
- 行く前に知っておきたいワカチナの注意点
- ワカチナですることーおすすめアクティビティー
- イカ名物、「テハス」をお土産に
首都リマからのアクセス抜群!ーバス選びー
今回ご紹介する「ワカチナ」は私の大好きで思い出がたくさん詰まった場所です。初めてのペルー観光、初めてのペルー国内一人旅はこのワカチナでした。それくらい敷居が低いのでおすすめです!
交通手段はバス一択。快適・安全・安いの三拍子!山岳地帯を通るときは良いバス会社でないと崖から落ちるなど事故が起きる可能性がありますが、ワカチナのように海岸地帯を通るだけであればそこまでバス会社にこだわる必要はないかなと思います。あ、でも距離的に値段の差が出にくいのでどうせなら良いバスに乗ってくださいね。
- OLTURSA
- SOYUZ
- CRUZ DEL SUR
- TEPSA
この四つの会社が有名なので近くの高速バス乗り場もしくは"redBUS"https://www.redbus.in/ で購入してください。ワカチナへは"SOYUZ"(ソユース)がよくバスを出しているのでおすすめです。
ワカチナへ行く方法ー料金・所要時間・降車場所ー
ワカチナへは直通バスがないので必ず"ICA"(イカ)という町で降車してください。片道20ソル~(約700円)で所要時間は約2時間半です。ちなみに前回行ったときは行き25ソル、帰りは35ソルくらい。ツアーで行くより断然安いです。イカへ着いたら敵当な道路へ出てアジアでいう「トゥクトゥク」を探して捕まえてください。ペルーでは"MOTO"(モト)といえば通じるでしょう。荷物や人数が多い場合はタクシーもOKですが、いずれにせよ目的地を伝える→値段交渉→乗車が基本です。モトの場合は7,8ソルが妥当です。
イカへついたらまずは…
日中の砂漠は暑いので夕方からのアクティビティに備えてワカチナへは昼過ぎを目安に着くと良いと思います。そしてイカへついたらまずは遅いお昼ご飯を近くの大衆食堂で食べます。ワカチナの料理は欧米向けのご飯が多く割高なので、だったらイカで安くて美味しいペルー料理を食べてほしいです。私は夕飯のブドウ二房、水2L、お菓子などを買ってワカチナへ向かいました。
行く前に知っておきたいワカチナの注意点
- ワカチナは小さい町、夕方のアクティビティさえ参加できれば一泊で十分
- 閉店が早い!18時頃には店が閉まるので飲み物は特に買っておこう
- 雨季は蚊がいっぱい
- 日焼け止め・サングラス必須
- 物価高め
- 細かい砂が目や口に入りまくる
ワカチナですることーおすすめアクティビティー
サンドバギー・サンドボード
ワカチナへ行ったらかかせないアクティビティはこれ。サンドバギー!!ジェットコースター並みの速さで広大な砂漠を駆け巡ります、めっちゃ早いし傾斜を急降下する時はスリル満点です!めっちゃ楽しいです!ただ、安全が十分に配慮されていない会社では事故で人が亡くなったという話もあります。車のシートベルトタイプではなく、ジェットコースターの安全バーがついているバギーか確認しましょう。
サンドボードは大体バギーとセットになっています。ちゃんとワックスかけてくれなかったり、坂へ連れて行ってくれないところは十分に楽しめないので口コミをチェックしましょう。高所恐怖症の方には厳しいかもしれません。安全のためスケボみたいに立たず、うつ伏せに寝転がって降りていきます。サンダルはケガしやすいので靴を履くこと、コンタクトの人は砂で目が死ぬのでサングラス必須です!
Kおすすめのパッケージ
勧誘がすごく多いのであらかじめ私のおすすめのパッケージを紹介します。
ホテル・ブレバードの16時出発のパッケージは40ソルでサンドバギー・ボード・夕日鑑賞ができます。ホテルこそ虫だらけ(特に蚊)で酷かったのですが、スタッフはとても親切でパッケージの内容にもすごく満足しています。終わった後は一緒に参加した方々とピスコサワー作りを体験しました。宣伝とかではなく本当におすすめなので、宿は別でとってパッケージだけ予約するのもいいと思います。
夕日鑑賞
広大な砂漠に沈む夕日はすごく綺麗です。夕方になるとぞろぞろと人が砂の上を目指します。ただ日が沈み始めるころから風も強まるのでカメラやスマホは念入りに守ってください。砂を上るのはかなり足にくるので余裕をもって上りましょう。
夜景
私は夜のワカチナが大好きです。涼しくて柔らかい砂の上で寝てしまいそうになります。誰もいない砂漠の上から町を見下ろして、好きな音楽を聴きながら月を眺めたり。初めて行ったときは友人のネモとペルービールを飲みながら語りました。ビールは好きではなかったのですがその時は格別に美味しく感じました。*もちろんゴミは各自で持ち帰り!*
オアシスは汚い?
ワカチナのシンボルでもあるオアシスは遠目はきれいなのですが、近寄ってみるとかなり臭く蚊もわんさかいます。ボートに乗ることもできますが値段は高く、あまり勧めません。水鳥が生息しているので離れてバードウォッチングをするのが良いと思います。
イカ名物、「テハス」をお土産に
ペルーのお菓子はあんまり美味しくないです(きっぱり)。それでも私を虜にしたお菓子が一つだけあります、それがこの"Tejas"(テハス)!"Manjar Blanco"(マンハール・ブランコ)というミルクキャラメルにピーカンナッツやクルミなどの木の実、ドライフルーツを入れ、砂糖で固めたものが「テハス」。砂糖の代わりにチョコレートでコーティングしたものが「チョコ・テハス」です。ちなみに私は断然チョコテハス派!一粒一粒紙で包装され、いろんな味が楽しめるのでお土産としておすすめです。現地のものは一粒1、2ソルで買えます。テハスはイカの名物なので是非お試しあれ!
アマゾンの部族村をいきなり訪問!~怖い、暗い夜~<ペルー>
今年の春は風や雨がすごく強いですね、Kです。後半少し愚痴多いです。
前回
無事受け入れが承諾され、昼間は村周辺の下調べや川遊びをしました。夕方のスコールが止み、夕食を済ませいざ夜の調査に出動!
プカルパ前編の動画はこちら↓
ジャングルは危険がいっぱい
調査にあたって村に出された条件は一つ。それは「ガイドをつけること」。ガイドと言っても村人の中から一人、森のことをよく知る人についてきてもらうのだが結構なおじいちゃんで少し心配であった。仮眠をとった後、夜の7時におじいちゃんガイドと合流。ライフル銃を持っていた。
行きのボートで海賊対策として船長たちが銃を持っていたことを思い出してほしい。ジャングル地帯は動物以外にも危険が潜んでいるので、銃を見ることは全く珍しくはないのだ。
ジャングルの王者
一般的にジャングルの危険を想像するとアナコンダ、ワニ、毒蜘蛛、ピラニア辺りが有名だが、余程運が悪くない限りこれらによって死ぬことはないと思う。それよりも一番注意すべきなのは「ジャガー」だ。いやいや、そんなジャガーなんかに遭遇することはないでしょう!とペルーに来た当初は疑っていたが虫ハンター活動をしているうちに観光地化されていないジャングルの恐ろしさを学んだのであった。
ペルーではジャガーが食物連鎖の頂点に君臨している。クスコの孤児院で叔父さんがジャガーに食べられたという子供にも出会ったこともある。現地の人の話を聞いてもやはり一番最初に名前が挙がるのがこの動物だ。何が怖いって遭遇率がそこまで低くないことだ。警戒心が少なく、どう猛な獣。もし今後読者の中でジャングルに行く方がいれば現地に暮らす人々から最大限に情報を引き出して注意してほしい。
もうひとつの王者
しばらく歩いたのち、木々が生い茂る森を見つけたので入ることに。今回の目的はヘラクレスやゾウカブトなどのビッグな甲虫なので湿気や木材があるこの場所はなかなか期待できる場所であった。おじいちゃんガイドが先頭で何度か止まっては険しい顔で銃をかまえるのでその度にドキドキした。残念ながらお目当てのものは見つからず、小さな甲虫などをD男はちまちま集めていた。途中休憩には持参した夕食のツナ缶とクラッカーを食べた。ツナの匂いに誘われてたくさん虫が集まってきた。
中でも不愉快だったのは「蚊」だ。蚊の集まりは黒い雲のように完全に目でとらえることができた。羽音を立てながら私たちに食らいつく。蚊対策に風通しの悪いレインコートを我慢してこの蒸し暑い夜を歩いてきたが、見事に惨敗。バチバチッと刺される音が聞こえるほど私たちは身体中噛まれた。日本の蚊と違い私はこの蚊に刺されると歩く度に激痛が走るほど腫れあがってしまう。ちなみに中心街へ戻ったときには抗生物質を飲まなければならないほどアレルギー症状がでていた。もう二度と我慢しない。
怒り
日中も猛暑の中歩き続け、夜も蒸し暑い中歩き続け、私は疲労困憊していた。時刻は23時、もう帰りたかった。通常虫取りは翌朝の4時くらいまでするが、今回のように日中も活動したときは例外だ。履きなれない長靴で靴擦れもしていた。とどめをさしたのはD男が日本から持参した強力な虫よけスプレーをセーブし始めた時。再び蚊の黒雲に遭遇し、もう一度貸してくれとお願いしたが残りの滞在日数分が足りなくなることを理由に断られた。その瞬間私は森を出ると言った。外で待つから終わったら出て来いと。エンリケは私に同行した。
帰っちゃうか!
足が悲鳴をあげていたので座り込んでしばらく目をつぶった。ジャングルの夜は賑やかで虫や鳥の声がそこら中から聞こえる。エンリケが「もうこのまま帰ろう。」と言いました。向こうにはガイドがついてるし大丈夫だからもう帰ろうと。せめて一言声かけたほうがいいんじゃないかと言ったら「大丈夫」とだけ言って私を引っ張り起こして歩き始めた。
今思うと大丈夫じゃないのは私たちの方で、護衛もなしに見知らぬ土地をひたすら歩き続けるのは危険行為だった。帰り道、誰かの足音が聞こえたかもしれないと止まっては隠れたり、村はまだ遠いのに光が見えたり(D男が設置したトラップだった)とにかく神経を使った。水も底つき、何度も立ち止まってはもうこれ以上歩けないと痛みとのどの渇きにほろりと泣いた。おそらくこの夜は人生のしんどいランキングに入るだろう。
ケンカ別れ
その夜汗と泥で汚いまま板のベッドで寝る。もうゴキブリなんてどうでもいい。疲れたから足だけマッサージしてとエンリケに言われた時にはまた怒ったことを思い出す。翌朝、7時に出発するボートに合わせてすっきり目が覚めた。クリスチャンはぎりぎりまで寝ている。先に帰ったことに誰も文句は言わなかったし、言えなかったと思う。昨日の調査はすっかりハズレに終わったのだ。誰もがこりゃ望みはないと割り切って帰りたかったと思う、おじいちゃんガイドも不慣れな夜更かしに船をこいでいた。クリスチャン曰く、私たちが帰ったことに気づき、帰ろうとD男に促したらしい。だがD男は一人でどんどん進む、先に帰っていいよとも言ったらしいがそうもいかないのでクリスチャンとおじいちゃんは腰を掛けて待機していたそう。
この話を聞いて驚いた。間違っても一人で森へ入ってはいけない。D男の欲望だけが突っ走っているように聞こえた。今回は何もなかったけれどこういう行動を起こす人は今後必ず痛い目に合う。クリスチャンはこの件をきっかけにD男とは口を利かなくなり帰りも空港で一度会っただけでそれっきりD男と顔合わすことはなかった。
おわり
プカルパの市街に戻ってせめてヘラクレスの標本を探し回ったけれどどれも傷が入っていたり捕まえた場所がわからなかったりでD男のお眼鏡にはかなわなかった。私があーだこーだいう中エンリケとD男はなんだかんだ仲が良く、帰国間際に別れの挨拶もしていた。なんというかD男は不器用な男だなと感じた。
後半少々毒がきつかったかもしれない、、、読んでくれた方はありがとう(笑)
プカルパ編は以上!後編のお話はこちら~↓
アマゾンの部族村をいきなり訪問!~鎧魚を食べたり、川を泳いだり~<ペルー>
和菓子が大好き、Kです。
前回のあらすじ
虫取り少年D男を連れて、南米ペルーのアマゾンにあるプカルパへ。ボートで8時間かけてシピボ・コニボ族という部族が暮らすイミリア村へ到着。予期せぬ客に村は戸惑い、一時受け入れを保留。翌日の村民会議にて話し合うことに。
シピボ・コニボ族とは
そもそもシピボ・コニボ族とは2つの部族が合体した部族
シピボ族は川で漁を得意とし、コニボ族はジャングルで狩りを得意とします
ウカヤリ川沿いで暮らす大半の人々がシピボ・コニボ族でBIGファミリー!
ちなみにこのイミリア村の方々は「シピボ族」だそうです。
ゴキブリだらけの寝床
翌朝6時に起床、寝床はいたってシンプルでベッドと思われる板の上に寝袋を敷いて寝た。ゴキブリがいたるところにいて、エンリケに7匹ぐらい放り投げてもらったけどきりがないのであきらめて寝た。
寝ても覚めてもゴキブリ。私たくましくなったんですよ(笑)
新鮮な鎧魚「プレコ」を食す!
朝食はなんと宿を提供してくれた女性が獲れたての「カラチャマ」(=プレコ)をスープにしてごちそうしてくれた。すごく不細工な魚で沖縄でどうやら大量繁殖してるらしいけど、本来アマゾンにいるような魚。鎧のうろこはカチカチ!弓槍で獲ったそう。さすがシピボ族!
スープの味付けは塩とパクチーのみ。すごくシンプルなんだけどこのカラチャマが良い出汁をだしてくれて、実も厚くて美味しかった!お腹は柔らかいので裏返して食べます。子持ちのカラチャマはその魚卵が宝だといわれていて、黄色く大きな粒の卵はプチプチとプラスチックのような噛み応え。このタイプの集合体がちょっと苦手で思わず「うっ」となったけど、せっかくもてなしていただいたので私は食べる!子供たちも美味しそうに食べていました。
村民会議
さて、話は昨夜に戻り、私たちは「怪しい者」として監視下に置かれていました。
元来このイミリア村は観光目的でくるよそ者などおらず、今までにない出来事だそう。
村長曰く、特に外国人は臓器売買の目的で村人をさらうと私とD男を警戒していました。なんだかそんな怖い思いをさせるのは本当に気の毒で申し訳なく思った。
朝食後、スピーカーで村民に集まるよう放送され、30人ほど集まりなんだか緊張。撮影できる雰囲気ではなかったのでそっとカメラをしまう。
村長が状況を説明したのち、私たちの代表としてクリスチャンが演説を始める。この男、根も葉もないことを平気で言いながらそれっぽい演説しておった。
状況を理解した村民から次々とこんな意見が、
「お前たちを受け入れる村側のメリットはあるのか」
そう、ずばり金。私たちは村への謝礼を約束。そして村同士のの縄張りや夜は危険な動物などもいるということで護衛兼ガイドを一人村からつけるよう命令された。とにかく夜は危ないらしい…。い、嫌だなー。
今晩ジャングルへ同行してくれるガイドも無事決まり、村へ200ソル(約7000円)、ガイドに100ソル、宿主に50ソルと4人で割り勘して払った。
こうして、晴れて会議は終わり村は私たちを正式に受け入れたのでした。
猛暑の中、村周辺を散策
会議後、夜行く目的地探し兼虫取りをしに村を出発。虫取りは基本夜中だけど涼しい午前中のうちはまだ蝶などがいる。アマゾンには「モルフォ」という両手サイズの大きなきれいな蝶がいるのでその蝶目当てで出発。
D男は大きな白やらオレンジの蝶をたくさん捕まえていたけど、そんなにたくさん獲ってどうすんねん…。まあいっかと思いながら時間は正午に。太陽が昇るにつれどんどん気温が上がります。
もう限界だーとエンリケと休憩していると彼が野生のパッションフルーツの仲間「グラナディージャ」を発見。通常の半分以下のミニサイズでしたがカラカラの喉には最高でした。甘くて、ぬるい。種とその周りのゼリー状の実を噛まずにそのまま飲み込む。
ウカヤリ川で泳ぐ
猛暑の中ふらふらになりながらどうにか村へ戻ることができた。私は何も収穫がなく、ただ体力を削っただけだった笑
歩き回ったので身体は汗だく、熱もこもっていたので思い切って川に入りにいく。
昨日はこの茶色い川を泳ぐのは嫌だな~と思っていたけど、改めて日中見てみると底が茶色い土っぽいだけで水は汚くは見えない。きっと栄養が豊富な川なんだろう。
奥へ行くほど水温はひんやり。二日間風呂は入れないと覚悟していたけどこんな贅沢なお風呂があってラッキー
学校が終わったのか午後の水遊びに子供たちがやってきました。
話しかけるとまだスペイン語は話せないことが判明。これから大人になるにつれ必要になるので勉強しなければならない。どこの部族もスペイン語教育は取り入れ始めている。
子供たちは川に入らなかったD男が持っている網や虫に興味津々。一生懸命いろんな虫を持ってきてはD男にあげようとします。
スコール
川遊びが終わり、昼ご飯を食べたあといきなり大雨が降り始めた。ちょうど雨季にあたる時期で熱帯雨林のスコールは半端なく強烈。そして雷がゴンゴロ鳴り響く。
こんな経験ですら東京の女には非日常で楽しく感じる。
D男とエンリケと三人でポーカーをしながら、雨が止むのを待ちました。
次回、怖い!深夜のジャングル。
アマゾンの先住民族、シピボ・コニボ族の村へいきなり訪問!~入村拒否?!~<ペルー>
ペルーから帰ってきて8キロ痩せました!Kです。
アポなしで先住民族の住む村へ
話はペルー時代に遡り、留学仲間だったリンちゃんの頼みで一か月の短期留学でくる大学の後輩(以下「D男」)をお手伝いしてほしいとのこと。
彼の目的はペルーにいる昆虫調査だったのでエンリケを紹介しました!ご存じない方、エンリケはあの名古屋で有名なカリスマ風俗嬢の…!ではなくて!私のペルー人ボーイフレンドでございます。
彼は昆虫マニア(企業に調査依頼を頼まれるほどマニア)ということもあって出会ってすぐ二人は意気投合、よかったね!
D男はペルーにいる美しい虫を求めてペルーをほいほい移動していましたが最後は身寄りのないジャングルに行きたいというので私たちが同行することに。エンリケの友人である40代カマキリブリーダーのクリスチャンも参戦!
ーK、エンリケ、D男、クリスチャンの4人の冒険がはじまる。ー
目的地は「プカルパ」
青い地点が首都リマで赤い地点がウカヤリ州にあるプカルパです
ちなみに地図の緑地帯はすべてジャングル!
移動方法
飛行機で1時間半もしくはバスで早くて18時間ですが、バスは雨季に土砂崩れがあって危険だし、途中で地獄の高山地帯を通るので飛行機が断然お勧めです。
・・・行く人いないか~笑
空港から市内
ジャングルには大体アジアでいう「トゥクトゥク」が走っています。
スペイン語では「モトカー」、市内まで1台2.5ソル(約100円)で行けます。
いざ先住民族の村へ
ボートで8時間移動?!
実は日本のテレビ番組ではお馴染みのプカルパ。
プカルパから流れているウカヤリ川がいずれアマゾン河に合流するのでアマゾン奥地はもちろん飛行機代が払えない現地の人々は船で移動します。
要するに「アマゾンの玄関」なのです!
ナスDも船で3泊くらいしてジャングルの奥地までいってましたよね 。
そして私たちはボートで8時間先の終点「イミリア村」を目指します( ;∀;)
音信不通になるクリスチャン。
今回の旅、実はクリスチャンが軸になって動いてくれていました
彼もまた昆虫愛好家で家にはいろんな種類のカマキリがいます
(私とこのカマキリシリーズの話本当に強烈だからまた別途記事にします)
しかしこの男、時間や約束なんて言葉がない。
・4時半集合→7時まで連絡途絶える。(クリスチャンは別の場所で宿泊していた)
・船乗り場到着、出発まであと1時間あるので手分けして食料の買い出しに
またもやクリスチャン連絡途絶える。
電話してもでない、出発時刻になっても来ない。何をしてたかって?
プカルパに住む彼女と呑気にティー(お茶)していたんだとよ!
いざイミリア村へ
ボートの上は暇
細ながーいボートに2列×2で満員御礼、いざ出発。
乗船客の他にカメや鶏(50羽)含む大量の物資を運んでいて、所々止まっては荷物や人を下ろしながら進みます。
ちなみに「海賊」が出るそうなので船長がライフル銃を持っていました。
もちろんここらではインターネットが繋がらないのでただひたすら景色を眺めて過ごします。珍しいジャングルならではの鳥を観察したり、なんとラッキーなことにピンクドルフィンも遠くから見かけました!
お昼ご飯は古代魚パイチェ
出発して3時間、トイレ食事休憩で40分程上陸。
(トイレ川にしてたちびっこもいたなあ。男は便利でいいね~。)
「パイチェ」という世界最大の淡水魚をフライしてお豆さんとユカ(キャッサバ)と頂きました!タラのようなたんぱくなお味、美味しいですよ!
コックさんは素敵なオネエ様、ジャングルの方にオネエが多いのは「アグアへ」という女性になる果実をたくさん食べるからという説があるのですが果たして真相は…。
店内には巨大なワニの頭蓋骨が飾られていました。
道中
イミリア村へ到着
さあ長ーい船旅がようやく終盤。最後まで残ったのは私たちと船長のみ。
夜の船の操作は危険なので船長はいつもここで一泊するそう。
17時ごろイミリア村へ着くと子供たちが川できゃっきゃと水遊びをしていました。
クリスチャンもどぼーん。暑かったもんね~。
まさかの入村拒否?!
無事イミリア村に到着。当初の予定では持参した寝袋で村から離れたところで野宿のはずだったけれど、ところがどっこい村長登場で「怪しい者の私たち」は村の管理下に置かれることに!
クリスチャンにどういうことか聞いてみると「来たことないしこんなことになるとは思わなかった!」と。彼の情報を信じてここへ来たのに!!
目的が不明、どこの誰なのかも不明、そして二人の外国人…。
そりゃ怖いよね。ということで私たちは翌朝まで村の敷地内に留まらなければならず、夜の虫調査は中止に。2泊3日の予定だったので明日の夜頼みに。
今夜、村長会議で私たちを受け入れるか話し合い。
翌朝、村人を集めて村内会議で判断が下される。
思ったより偉いことになっちゃった?
今晩は川辺に住む親切な奥様に受け入れられ寝床を提供してもらいました。
とりあえず・・・夕飯。
村に滞在するなんて思ってもいなかった私たち。まず人が住んでるとも思わなかった。食料といえばクラッカーとアンチョビの缶詰と水で2日間生きる予定でしたが村内に1件だけ食事処があったのでいくことに。
もちろんオネエ様のコックさん。美味しいエストファード・デ・ポーヨというペルー料理を提供してくれました。優しい味…不安をかき消すような優しい味でしんみり。
人参・ジャガイモ・グリンピースなどのお野菜を乾燥キノコとローレルで香りや味をつけたトマトで煮込んだもの。塩とにんにくで味付けされたご飯と味の染みこんだ鶏肉は絶品です。
人生初タランチュラ触れ合い。
夜は村内を散歩させてもらいました。真っ暗!とりあえずいたるところにタランチュラがいて、手のひらサイズのものもいれば赤ちゃんサイズもいて可愛かったです。
人生でタランチュラを触る日が来るとは思わなかった。とても大人しくふにゃふにゃしてました。毒は蜂に刺されるくらいの微々たるもので映画に影響されすぎを反省しました。毛でアレルギー起こす人はいるらしいですよ。
専門家が同行してるとこういう経験ができて面白い。蜘蛛苦手な人もいると思うので写真は割愛。ネタバレになりますがYOUTUBEには載せてるのでよかったら見てください。
タランチュラに癒されましたが、果たして私たちはどうなるのでしょう・・・。
次回!「シピボ・コニボ族のイミリア村がが私たちを拒む理由」
お楽しみに!
ーご報告ーブログ1年ぶり再始動!YOUTUBEもアップしたよ!
拝啓 皆さん、(とは言っても読んでくれている方がいらっさるのかは不明ですが)
どうもお久しぶりでございます。Kです。
一年ぶりの投稿ですかね。
色々迷いに迷って、忙しに忙しで、なかなか投稿できずにおりました。
あんまり旅のことが関係ない身の上の話ですので手短にご報告させてください。
昨年の4月に10か月滞在したペルーから帰国し、現在日本で働いております。
現在はコロナウイルスの関係で保証を頂きながら自宅で待機しています。
なので時間はたくさんあるのでブログも再開しました。
このブログを始めたのは
「ペルーの文化や現地での旅を紹介していくため」
だったのですが、いざ帰国してしまったらもう続けてはいけない気がして
なんだかネタが尽きることが寂しく思えて書ける内容も書いていませんでした
そこでちょっと内容からズレててしまうかもしれませんが、
・残りのペルーの記録
・世界の文化や旅で興味あるものについて
・過去に行った海外旅行
・国際恋愛
について書かせていただきます、カテゴリー外もあるかも
とにかく好きなように!書かせていただきます!
題名は好きなのでこのまま継承!
ちなみに最近はメキシコに行ったのでYOUTUBEも半年ぶりに更新しました
YOUTUBEのために旅しようとすると旅がないがしろになってしまうし…。
どっちも楽しみたくてふんわりとした旅記録となりましたが
時間があれば是非見てやってください!
あとあと!ドローンデビューしました!!これも記事にします!
以上、ご報告でした
これからもよろしくお願いします!
愛をこめて K
自転車で行こう、悪魔の洞窟<南米チリ>
さあいよいよチリ編が最後になります、Kです
旅のことをスマホにメモをしていたのですが、先ほど紛失してしまい
残念なことに見つかりそうにないのであんまり詳しく書けそうにありません
写真と感想文と大体の情報で許してください!
アタカマでレンタルサイクル
アタカマ最終日にしてお金が底つき、
ツアーにも行けないので「レンタルサイクル」に挑戦してみました
アタカマの町は、<旅行会社・宿屋・レンタルサイクルショップ>の三点で
できているといっても過言ではありません
レンタルサイクルはどこにでもありますし、誰かしら乗っています
快晴のアタカマを自転車で駆け抜けるのは爽快ですよ!
自転車選びのポイント
- タイヤがしっかりしていること
- シートがしっかり太めなこと
- ヘルメット、ジャケット、空気入れなど備品を揃えてくれるところ
- 地図をくれかつ説明してくれるところ
アタカマの道はコンクリート続きならいいんですけど、砂の時は全然進みません
あとは石がゴロゴロ転がっているのでパンクの可能性もありタイヤは大きめがベスト
個人的にシートが細いプラスチックじゃないほうが良いと思います
たかだか半日でも後半からお尻が痛くて太ももで斜め乗りしていました笑
ヘルメットとジャケットは暑くてかぶっていられないんですけど、
車の通りがある道ではつけたほうが良いでしょう
特に日が暮れてしまったあとは街灯もないのでかなり危険です
真っ暗な道で溝に落ちてしまったり、思わぬ事故が潜んでいます
アタカマでは電波が届くところとそうでない場所があるので、
あらかじめ目的地を地図で用意しましょう
私が行った自転車屋さんでは紙媒体の簡易マップをもらいました
丁寧に説明をしてくれたので大体迷わずにたどり着けました
レンタルサイクルのための持ち物
- 日焼け止め(灼熱地獄です)
- 帽子(灼熱地獄です)
- 水(2L持っていきました、途中売店などなし)(灼熱地獄です)
- サングラス(眩しすぎて見えません、砂ぼこり対策にも)
- タオル(滝のような汗が出ます。砂ぼこり除けに口を覆いました)
- 上着(日焼け防止、夜は一気に寒くなります)
- 食料(バナナ・みかん・チョコ・グミ・パン。腹ペコでした)
- 靴(間違えてもサンダルでは行かないように!!)
- リュック(両手が空くようなカバン、斜め掛けは肩が死にます)
- ライト(夜道用、携帯だと片手運転になり危ない)
とにかく荷物は軽い方がいいです!最低限のこのリストだけでもかなり重かったです
特に重いのは水なのですがそこはケチらないように!
いざ悪魔の洞窟へ
女一人、旅の疲れなども考慮して月の谷と悪魔の洞窟の二択だったのですが
初日に月の谷へ行ったときに坂が続きだったのを思い出して、
あれを上れる自信がなかったのでやめました!地味に高山病だったので。
それではレッツらゴー!
プカラ遺跡の方を自転車で進みます、道はガタゴトでお尻が痛くなりました
途中で川を渡る箇所があります。
濁流で流れの勢いも強め、これは自転車で渡り切れなかったらひっくり返ると思い
悩んでいたらどうやらもっと先にほっそーい橋があるそう
ここも自転車を担いで渡るのですがナイスガイが手を貸してくれました
この"VALLE DE CATARPE" という公園の中に5か所くらい観光スポットがあって
そのうちの一つが悪魔の洞窟です(QUEBRADA DEL DIABLO)
全部周りたい気持ちはいっぱいですが一か所最長6時間はかかる場所もあって断念
かなり広いようですが、私は一番近いこの悪魔の洞窟だけ行って帰りました
入場料を払って中の地図をもらいます
茶色い山?と茶色い川と茶色っぽい草と・・・
アメリカのテキサスとかこういうイメージです
途中すごく道が悪くて進むの大変でした。タイヤが砂に埋もれる!
この木製の表札がまたいい感じ。QDA DL DIABLOの方へ進みます
入口に自転車をつなぐ場所があるので歩きたい人は置いていきます
自転車ではいけない道もあると書いてあったので私は歩いていきました
大きな岩の道を通り抜けます。あんなに暑かったのが嘘のようにひんやりしています!
人の通りが少なくほとんど人に出くわしませんでした
ちなみにこの先私は正規のルートから外れ迷子になりました(通りで歩きづらかった)
帰り道を忘れるのが怖くなって思わず引き返したところ、
自転車でぴゅーっと追い越され正規のルートに気づきました笑Σ( ̄ロ ̄lll)ガーン
とぼとぼ歩くも、疲れ果ててしまい道に座り込んで石を壁に投げつけはじめる
(完全にやけくそですね。自分に腹が立っていたようです笑)
しかーしその割った石の中からキラキラしたものが出てきたのです!
茶色い石の中から透明な薄い膜が何枚も重なった結晶が出てきました
幼いころから宝石好きの私はこれに大興奮!
そのあと座り込んで夢中になって石を割ったり掘ったりしていました
これを洗って磨けば( ^ω^)・・・!なんて妄想をしながら1時間以上が経過
思えばその日はこの時が一番楽しかったです
おわりに
このあと帰り道にプカラ遺跡から夕日を見ようと思ったのですが
めちゃくちゃ一生懸命上ったのに夕日が見られず(月の谷に引き続き悔しい)
悲しむ間もなく自転車返却時間のぎりぎりに返却
遺跡を駆け抜け、チャリをかっ飛ばすなんて本当に落ち着きのない人間ですね!
とっても疲れましたが充実した一日でした
是非自転車に乗ってアタカマを周ってみてください
差別と向き合う。無視?OR反撃?
チリ編があと一回で終わるのですが、最近立て続けにあった子供たちとの出会いに
ついて書きたいことあるのでお付き合いください。
以前にも差別について記事を書きましたが、第2弾です。前回の記事はこちら↓
人種差別を受けました<ペルーでアジア人差別> - 無職、南米ペルーへ挑む!
中指を立ててしまった
ついこの前、授業の帰り道に中学生くらいの男子2人組に
“Hola amiga”(へーい)と声をかけられたので“Hola”と返して通り過ぎようとしました
すると“Bienvenida”(ようこそ)と言われたので“Gracias”(ありがとう)と
にっこり笑って返したのですが、やたらまた「ようこそ~…」と言ってきました
何かと思ってよく聞いたら「ようこそ香港へ」とにまにましながら言われていたんです
私は中学生坊主二人相手なら怖くないと思ったのか、
気づいた頃には振り向いて笑顔で中指を突き立てては歩き去っていました
彼らは追いかけてはこなかったものの「ばーか ばーか」といわんばかりに
声を荒らげて一生懸命香港へ歓迎してくれました笑
人生でおそらく初めて本気で人に中指を立てた日です
この戦いに一瞬勝った(=言い返せた)と思ったのも束の間、歩いているうちに
知らない相手にせよ誰かに「死んでほしい」という意思表示をしてしまったことに
罪悪感を感じました
私の中でどんなに憎しみを持っても「死ね」とは口が腐っても言わないと誓った日、
慣れない日本の生活でつい同級生の男子に言い返してしまったけれど
驚くほど強い言葉で自分が傷ついたのを思い出しました
口に出していなくてもやってしまったことは同じ意味で、もっと他に自分を守る方法が
あったのになと反省しました
無視するのが一番良い?
スペイン語があまり話せなかった頃は誰に何を言われようと目を合わさずに
その場を立ち去っていましたが、少なくともその日は一日悔しさでいっぱいでした
やられっぱなしの自分が悔しかったので、そこから言い負かすための暴言文句やらを
積極的に覚えて練習していたのですが、結局女一人ということもあって
万が一危険に巻き込まれることを想定すると、悔しくてもそこはぐっとこらえて
受け流すのが賢明という場面があったりで使うことはありませんでした
隣に仲間でもいればいいんですけど、必ず一人の時に狙われるんですよね~
まあ、あとは単に自分の反応が遅すぎて言い返す頃には独り言になっているとか笑
反撃できるならするべき
「そんな教育のなっていないやつら、相手にする方が時間の無駄。」
そう思う人は少なからずいると思いますが、少しでも反撃ができた時と
何もできなかった時とだと後の気持ちの消化の早さが全然違うんですよ
あなたがもしどんなことを言われても気にせず過ごせる人なら話はまた別ですが、
自分も立ち上がって戦うことで一方的な攻撃を受けたと思わなくなります
「こんなことを言われたけど、私はこう言ってやったんだ!」っていう自信がついて
自分を守る術さえ見つければ、誰もが怯えずに堂々と歩けるようになります
教育してやる
反撃することで気持ちが楽になった一方、ひどいことを言ってしまった罪悪感や
逆切れされて危ない目にあう可能性を考えたら本当に正解なんてないと思います
結局はその場その場で対応するしかないです、言われないのが一番ですが!
しかし教養の低さっていうのはどうしようもできないものです
ただし「話せばわかってくれそうな人」と「まだ救えそうな子供達」には積極的に
説教交じりの会話をします
そこまで気になるの?
どこへ行こうと特に子供たちは私に興味津々です
くすくす笑いながら指をさされたり、わざわざ相席してまで見に来ます
しかも話しかけるわけではなく「チニータ」やら中国語の真似?をしたり
こちらがスペイン語がわからない前提で冷やかしたりしてきます
私が目を合わせると笑いながら両手で目尻をあげたりする子もいましたね
仕方ないなーと思いながら声をかけます
「おい。礼儀をわきまえろ。」
こういうと目を真ん丸にして驚きます笑
ここでぴゅーっと逃げるか「こいつ会話できるじゃねえか!」と居座るかどっちかです
もちろん残った子供たちにだけ色々教えてあげます
まずは<私はどこの国からでしょうゲーム>です
驚くことに日本を知らない子供が多いです
中国はもちろん知っていて、韓国は韓流アイドルのおかげでしょうか
ちょっと会話するとあとは向こうからの質問攻めです
最後は決まって当て字で名前を書いてあげたり(100%漢字の方が喜ぶ笑)、
たまに漢字が思い当たらなくてバカにされたりしながらも楽しく会話を締めます
おわりに
子供に罪はないですからね
そういうこと言われたら結構傷つくんだよとか
みんな違うけど結局同じ人間だからねとか
人種で一括りにするんじゃねえばっきゃろーとか
あとは「世界の広さ」と「旅のロマン」を語っては
君たちにもいつか経験してほしいなって伝えています
そうやって少しずつ世界が広がって、
誰がどこへ行っても良い思い出が作れるようになってほしいです